2017年06月17日

Vol.1671「“即断即決で、いますぐやれるかどうか”を判断基準とする」


昨日は

午前中から夕方にかけて、

古田土会計主催の研修に参加。



終了後は、

同研修のために全国各地から集まった同業の方々と、

熱気溢れる懇親会でした。



ご一緒させていただいた皆様、

たくさんの刺激をありがとうございます!


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「試験勉強の7段階」


という戯れ言があります。



1段階 家に帰ったらやろう

2段階 晩御飯を食べたらやろう

3段階 お腹がいっぱいだから、少し休んだらやろう

4段階 このテレビ番組を観終ったらやろう

5段階 徹夜して頑張ろう

6段階 明日の朝、早起きしてやろう

7段階 ええい、こんちくしょう(=ぶっつけ本番 笑)




高校時代の私(安野)は、

まさに7段階の状態が続き、

当初は学年上位だった試験成績も、

みるみるうちに転落し、授業についていけなくなった・・

という苦い経験があります。



いま思い出しても、

あの頃は本当に酷かった(というかまともに勉強した記憶が皆無)

です(汗)。



なので、当時のトラウマもあり、

社会人になってからは、

できるだけ「前倒し」「前のめり」を心がけているつもり。



とはいえ、たまに

「先延ばし癖」が顔を出すことはありますけど・・。




ところで、なぜ、

やると決めたことが先延ばしになってしまうのでしょうか?



実は、

「〇〇の後にやろう」という言葉には、

「いまはしたくない」という強い拒否感

が隠れています。



つまり

決心を先延ばしにするということは、

変化を望む表向きの発言とは裏腹に、内心では、


「絶対に変化したくない」


と言っているようなもの(!)

なのです。



したがって

いざ実行すべき時がきても、

あたかも試験勉強の如く、

その決心はさらに延長される可能性が高いでしょう。




少し極端かもしれませんが、

(物理的な事情でできない場合を除き、)


もしもいますぐにやれないのであれば、

それはもう、「やる」とか言わない方がよい

気がします。



心が拒否している訳ですし、また、


「やる」と言っておきながら実行に移さず、

中途半端になっている状態の方が、

その人にとっても、周りの人にとっても、

精神衛生上よろしくありませんので。



よって、

新たな取組みを実行するに際しては、


「即断即決で、いますぐやれるかどうか」


を、1つの判断基準とすべき

だと考えています。




実行に移すのに、

スタートのための完璧なタイミングなんて

ありません。



最も実行に適したタイミングは、

「いま」しかないのです。


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【本日のまとめ】

■ 決心を先延ばしにするということは、

  変化を望む表向きの発言とは裏腹に、内心では、

  「絶対に変化したくない」と言っているようなもの。

■ 新たな取組みを実行するに際しては、

  「即断即決で、いますぐやれるかどうか」

  を1つの判断基準にすべき。

■ 最も実行に適したタイミングは、「いま」しかない。









posted by 安野 広明 at 23:43| 島根 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月16日

Vol.1670「自分にどんなレッテルを貼っていますか?」


昨日は


「安易にレッテルを貼らず、1人の個人として向き合うこと」


について書かせていただきました。


*ご参照下さい。
   ↓
Vol.1669「“レッテル貼り”をやめ、“1人の個人”として向き合う」
http://bplan.seesaa.net/



今日はその続きです。




「レッテルを貼る」


という意味においては、

「他人」に対するのはもちろんのこと、実は、

「自分」に対しても同じことが言えます。



「どうせ自分なんて」「もういい年齢だし」

などといった否定的な自己イメージは、そのまま


「自分は〇〇な人間だ」


という負のレッテルを生み出すのです。



そして、そのレッテルは、

本人の心の奥深くに根差し、

無意識のうちに、行動全般に影響を及ぼします。



これは

「自己規定効果」

と呼ばれ、


人は、自らレッテルを貼った通りの人間になっていく


そうです。



プラスのレッテルならまだしも、

自分で負のレッテルを貼り、可能性を限定し、

結果的にその通りの人生を送っていく・・。



一度しかない人生をそんな風に過ごすなんて、

少なくとも私(安野)は

御免こうむりたいです(汗)。




また、もしかすると、


自分に自信が無い人ほど他人を信じることができない


のと同じで、


自分に負のレッテルを貼り、セルフイメージが低くなっている人ほど、

他人にも安易にレッテルを貼ろうとする


のかもしれません。




であるとすれば、

やはりポイントとなるのは、


自分にどういうレッテルを貼っているか?


ということ。



もしも


やるべきことは分かっているけど、なかなか行動が変わらない


のであれば、

行動を変えようとするより前に、まずは


自己イメージ(=自分へのレッテル)をつくり替えるべき


ではないでしょうか。



その際、

現在の自分に自信や実力があるかどうかは

関係ありません。



現状はさておいて、とりあえず、


いまとは違う理想的な自分の姿を明確にイメージすること


が、

一皮むけるための突破口になる

ような気がしています。




そんなことを考えました。


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【本日のまとめ】

■ 「レッテルを貼る」という意味においては、

  「他人」に対するのはもちろんのこと、

  「自分」に対しても同じことが言える。

■ 人は、自らレッテルを貼った通りの人間になっていく。

■ いまとは違う理想的な自分の姿

  を明確にイメージする(=プラスのレッテルを貼る)ことが、

  一皮むけるための突破口になるのではないだろうか。










posted by 安野 広明 at 23:59| 島根 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月15日

Vol.1669「“レッテル貼り”をやめ、“1人の個人”として向き合う」


人は、


国籍、出身地、年齢、性別、血液型、容姿、表面的な態度や言葉遣い


などによって、


「あの人は、〇〇な人だ」


とレッテルを貼りたがるものです。



極論ではありますが、

「中国人」や「韓国人」と聞くだけで、


「彼らは日本を嫌っている」「日本人の敵だ」


といったニュアンスの発言(暴言!?)

をされる人もいたりして、

驚かされます。



「いじめ」や「差別」や「偏見」は、

そういったレッテル貼りから生まれるのでしょう。



結局のところ、

相手にレッテルを貼り、

抽象的な存在として捉えた方が、


面倒臭くないし、楽だし、自分にとって都合がよい


のだと思います。



相手を「1人の個人」として見ようとすれば、

きちんと向き合わないといけないし、

理解するまでに時間がかかることもあるし、

それ自体がストレスだったりしますので。



また、レッテルを貼ることで、


「あの人は〇〇な人だ・・だから自分は悪くない」


という、

自分への言い訳にもなりますよね。




とはいえ

レッテルを貼った瞬間から、


相手の内面や人格や尊厳がないがしろにされてしまう


ということを、

見逃してはいけないと思います。



相手も自分と同じ、

弱い心を持った1人の人間です。



とりわけ、経営者やリーダーなどの

人を育てる立場にある人は、

安易なレッテル貼りはやめ、


諦めずに向き合う努力を継続しなければならない


と考えています。




自戒を込めて・・(汗)


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【本日のまとめ】

■ 人は、往々にして、

  「あの人は、〇〇な人だ」

  とレッテルを貼りたがるもの。

■ 相手にレッテルを貼った瞬間から、

  相手の内面や人格や尊厳がないがしろにされてしまう。

■ 人を育てる立場にある人は、

  安易なレッテル貼りはやめ、

  諦めずに向き合う努力を継続しなければならない。











posted by 安野 広明 at 22:49| 島根 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする