2017年07月09日

Vol.1693「“将来ありたい姿”を言語化していますか?」


うちの子供が通っている幼稚園では、

お誕生日会の際に、

その子の「将来の夢」を1人ずつ発表させるそうです。



ちなみに、うちの子の夢は、

昨年が「畳屋さん」で、今年は「お医者さん」

なのだとか。



畳屋は、私(安野)の実家が畳店を営んでいるので

その影響でしょうし、


医者は、仮面ライダーの主人公の設定が医者だから

だと推測されます。



それにしても、

父親である私の職業が入っていないのは

ちょっと残念・・(涙)



親として、もっと子供が憧れる姿を見せれるよう、

頑張りたいと思います!




・・それはさておき、

子供の頃は、上記のように、

先生や親から「将来の夢」について聞かれる機会が

誰にでもあったはずです。



しかし

社会人になると、他人から

夢について聞かれることは

ほとんどありません。



それもあってか、多くの人は、

「将来の夢」について考えることをしなくなりますし、


「いまさら夢を語るなんて恥ずかしい」


といった風潮すら見受けられます。




では、ここで、

「将来の夢」を、

「将来ありたい姿」に

置き換えてみてはいかがでしょう。



そもそも

子供の頃、夢として掲げがちなのは、

「職業」という、

夢を叶えるための「手段」でしかありません。



子供にとっては

「夢」=「職業」

なんですよね。



でも本来は、

「職業」がゴールではなく、


「その手段を使って、どんな目的を達成したいのか?」


こそが大切ですし、それは、

いま(もしくは将来)の会社の中で、


「(社内のメンバーやお客様や地域社会にとって)自分がどういう存在でありたいのか?」


という

「将来ありたい姿」と紐付いてくるはずです。




「将来の夢」ではなく、

「将来ありたい姿」と解釈すれば、

それを明確にすることは、決して

恥ずかしいことではありませんよね。



むしろ

そういった目的や目標を持たずに、

日々漫然と過ごす方が、

時間を浪費し、自らの可能性が限定されてしまう

という意味で、

非常にもったいないことだと感じています。



失った時間は二度と戻らず、

意識しなければ

あっという間に過ぎ去ってしまうもの。




自分がどこを目指したいのか、

将来どうありたいのか

を、改めて言語化しておくことも

必要ではないでしょうか?




子供の「将来の夢」を聞きながら、

そんなことを考えました。


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【本日のまとめ】

■ 社会人になると、多くの人は、

  「将来の夢」について考えることをしなくなるし、

  「いまさら夢を語るなんて恥ずかしい」

  といった風潮すら見受けられる。

■ 過ぎ行く時間を無駄にしないためにも、

  自分がどこを目指したいのか、

  将来どうありたいのか

  を、言語化しておく必要があるのではないだろうか。











posted by 安野 広明 at 19:09| 島根 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする