2022年09月30日
Vol.3602「コミュニケーションの真髄は“離見の見”にあり」
他者とのコミュニケーションを図る上で
心に留めるべきは、
「離見(りけん)の見(けん)」
だと考えています。
これは、
日本の伝統芸能である「能」の
大成者・世阿弥(ぜあみ)が書いた
『風姿花伝』の中にある教えです。
演者が自分を離れ、
観客の立場で自分の姿を見ること、
自分の演技について
客観的な視点を持つこと
を意味します。
(* goo辞書より)
ちなみに、
「我見」とは、自分が主体となる視点、
「離見」とは、相手から自分を見る視点、
「離見の見」とは、
もっと引いて全体から見る視点
なのだとか。
当然ながら、
コミュニケーションとは、
自分1人では成り立たないので、
「我見」に囚われていると、
円滑にいくはずがありません。
ただ実際のところ、
(自分のことは棚に上げて書きますけど、)
「離見」すらない人は結構多い
と感じます・・。
例えば、私(安野)は、
セミナー講師をつとめることがあるため
よく分かるのですが、
参加者の皆さんは
真剣になるほど真顔になり、中には、
微動だにされない方もいらっしゃいます。
参加者側は
「自分は大勢いる中の1人」
という感覚でも、
前に立つ側は、
参加者1人ひとりの表情が
はっきり見えるんですよね。
別に、その人が
悪いという訳ではありません。
反応がないと、
こちらが喋りづらいだけです(汗)。
むしろ、思わず表情が動くような、
興味を引く話をできない
自分の責任でもあるでしょう。
とはいえ、
「離見」もしくは「離見の見」
を持てる人であれば、
講師側の気持ちや全体の雰囲気など
を感じ取りながら、形だけでも、
あえて柔らかい表情をつくったり、
頷いたりしてくれるはず。
私自身、
自分がセミナーに参加した際には、
講師から見て、
「この人は聞いてくれてるな」
と分かるくらいには
反応を示しているつもりです。
ある意味それも、
自分と講師とのコミュニケーション
と言えるでしょう。
まあ、上記は一例に過ぎませんが、
このことは、
1対1のコミュニケーションはもちろんのこと、
会議中や社内研修でも同じ。
「我見」なのか「離見」なのか
「離見の見」なのかで、
当事者間のコミュニケーション
の円滑度合いは
まったく異なると思います。
私もまだまだ「我見」に囚われる
ことがあり、
反省ばかりの毎日ですが、
「離見の見」
というキーワードを忘れぬよう、
書き記した次第。
何かのご参考までに。
***********************
【本日のまとめ】
■ 他者とのコミュニケーションを図る上で
心に留めるべきは、
「離見の見」である。
■ 「我見」なのか「離見」なのか
「離見の見」なのかで、
当事者間のコミュニケーション
の円滑度合いはまったく異なるもの。
<< ご案内 >>
●ビジネスプランホームページ
http://annokaikei.com/
●小冊子「桃栗経営のすすめ」
http://annokaikei.com/media
●お客さまの声
http://annokaikei.com/voice-2