2021年01月20日

Vol.2984「不易流行の“不易”の部分を見失っていないか?」


私(安野)は、

アンパンマンの生みの親である

故・やなせたかし氏の以下のエピソード

が好きで、過去のエントリ(*)でも

一部紹介させていただいています。


(ここから)
  ↓
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30代半ばになってこの世界に首を突っ込んだ僕は、

いくつもの電車に乗り遅れ、

ようやく乗り込んだはいいが、

その電車はすし詰め状態。


とても座る席などありません。


でも、僕は電車を降りなかった。


僕は、人生というのは、

満員電車じゃないかと思うのです。


我慢して乗っていると、

次々と人が降りていって、

いつの間にか席が空いて座れる。


これは、誰もが一度は

経験することでしょう。


僕が売れない、モテない、しがない漫画家として、

それでも生き延びてこられたのは、

満員電車から降りなかったからです。


(中略)


つまり、この道と決めたら、

くさらずに我慢して電車に乗っていると、

いつかは席が空くのです。


けれど、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車は嫌だ、

もう耐えられないと降りてしまったら、

それでおしまい。


降りないでそこにいることです。


「継続は力なり」

といいますが、諦めないで、

ひとつのことを思いを込めてやり続けていると、

ちゃんと席が空いて

出番はやってくるのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  ↑
(ここまで) 

『絶望の隣は希望です!』(やなせたかし著)より


*ご参照下さい。
   ↓
Vol.335「人生は満員電車の如し」
http://bplan.seesaa.net/article/378025923.html

Vol.2772「“一寸先は闇”ではなく、“一寸先は光”」
http://bplan.seesaa.net/article/475873481.html



私の場合、

東京でのサラリーマン時代に、

電車で片道1時間くらいかけて

勤務先まで通っていたので、

特に帰りの電車は、

乗った時は満員でとても座る席がなくても、

途中駅に停車する度、

ぞろぞろと人が降りていき、

いつの間にか席がガラガラに空いている・・

なんてことがよくありました。



なので、

上記の満員電車の例えは

とてもイメージがつきやすく、

たまに思い出しては、

自らを鼓舞しているつもりです。



というのも

今回のコロナ禍においては、

当ブログでも、

「変化対応力が求められる」

とか

「これまでの常識を疑い、新しい挑戦をする」

など、

変化に着目して書き続けてきましたし、

これからも書くとは思いますが、


それと同時に、

時代が変わっても不易な部分、

自分(または自社)としてこだわりをもって

やり続けて来たことは、

コロナ禍であれ何であれ

一貫して継続する強い意志が必要

だと感じたからです。



やはり、

浮足立つことなく

地に足をつけて前に進むために、

不易流行で言うところの「不易」の部分を

見失ってはいけないと、

改めて思います。



むしろ、コロナ禍においても

きっちり継続できているかどうかで、

大きく差がつくのでしょう。



コロナに翻弄されて、

過去の取組みを諦めたり、

「無かったこと」にするのではなく、

それが「不易」に当たるものであれば、

コロナショックを乗り切るまで何とか継続し、

次につなげていきたいものです。


・・と、自分に言い聞かせるの巻(笑)。



本日は、備忘録を兼ねて。


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【本日のまとめ】

■ 浮足立つことなく

  地に足をつけて前に進むために、

  不易流行で言うところの「不易」の部分を

  見失ってはいけない。

■ コロナショック乗り切るまで何とか継続し、

  「不易」を次につなげていきたいもの。



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posted by 安野 広明 at 23:18| 島根 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする