2019年11月23日

Vol.2560「主従の関係は、固定されない」


あくまで個人的な意見ですが、

私(安野)は、

「従業員」という呼び方が

あまり好きではありません。


(ですので、「社員」と呼んでいます)



なぜなら、「従業員」という言葉は、

経営者が「主」、従業員は「従」という、

一方的・固定的な表現だからです。



まあ、確かに、

雇用契約という形式的な意味では

そうなのかもしれませんが、実際に、

仕事をする上では、


主従の関係は固定されるものではない


と思っています。



すなわち、時と場合によっては、

経営者が「従」となり、社員が「主」となる

こともあるのです。



例えば、弊社の場合、

現場でのお客様対応は社員が「主」で、

経営者の私は、

あくまでサポート役(=「従」)

に徹しています。



もちろん、

全社的な方向性を決定する際には、

私が「主」で、社員は「従」となりますが、

このように、

主が従となり、従が主となることがあるのは、

どんな組織でも同じでしょう。




少し話は変わりますが、

ご承知の通り、


「君たち、いいですか〜?

 人という字はねぇ、ひとと、ひととが支え合っているから、

 人なんですよ〜」


とは、

3年B組金八先生の名言です(古い!)。



でも、「人」の字の見方によっては、

「支え合っている」というか、

左側の「主」の棒が、

右側の「従」の棒から一方的に支えられている(=もたれかかっている)

ようにも見えます。



もしも「従」の棒が、

「支えるのは疲れた」

といって離れてしまえば、

「主」の棒は、コテンと倒れてしまうでしょう。



ただし、

逆のことも言えます。



つまり、「主」の棒が、

「分かった、もうあなたは結構だよ・・」と、

愛想を尽かして退いてしまえば、

「主」を支えていたはずの「従」の棒も、

コテンと倒れてしまうのです。



結局、形の上では、

「従」が「主」を支えているように見えても、

実質的には、


相手の存在があるからこそ、それぞれが生かされている


と言えます。



金八先生、なかなか深いですね〜(笑)。




そのように考えると、

社員のお陰で経営者が存在し、

経営者のお陰で社員が存在する

のだから、

そこにはお互い、感謝の気持ちが必要ですし、


さらには、経営者と社員とは、

それぞれが「主」となったり、「従」となることで、

時代の変化にも柔軟に対応できる、

「一枚岩の組織」に近づいていける

のでしょう。



・・そんなことを感じました。


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【本日のまとめ】

■ 時と場合によっては、

  経営者が「従」となり、社員が「主」となる

  こともある。

■ 経営者と社員の、

  それぞれが「主」となったり、「従」となることで、

  「一枚岩の組織」に近づいていけるはず。


posted by 安野 広明 at 23:58| 島根 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする