2019年01月16日

Vol.2249「‶1人称の視点”を持つことで、世の中の見え方は変わる」


以前、1人称童話シリーズの

『桃太郎が語る 桃太郎』

という本を読んだことがあります。



子供向けの絵本なので

別におすすめする訳ではないのですが、

Amazonの内容紹介を一部抜粋すると、

以下の通り。



(ここから)
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ぼくは鬼がこわいと思いました。


「昔々あるところに…」でおなじみのスタンダードな昔話は、決まって3人称、

いわゆる「天の声」でえがかれています。


3人称から1人称へ。客観から主観へ。

もしあの童話の主人公が自らの口で語ったら。

その額にカメラがついていたら――


「1人称童話」はそんな発想のちょっと変わった絵本です。

えがかれるのは、3人称のナレーションでは語られない、

主人公の「たとえば」の胸の内。


他者である主人公の視点から物語を体験する1人称童話は

「まなざしと気持ちの絵本」といえるのかもしれません。

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(ここまで)



桃の中に入っている時(=産まれる前)から、

すべてが桃太郎目線というユニークな切り口で、

本の最後には、

「もし君が桃太郎なら?」

との問いかけが・・



読んだ後にも

子供に考えさせる工夫が為されています。



まあ、うちの子の反応は

いまいちでしたけど(汗)。



それはさておき、

このように1人称にしただけで、

こんなに物語の見え方や感じ方が変わってくるのか〜

というのが、

私(安野)の率直な感想です。



桃太郎には、桃太郎にしか分からない真実がある。



そういうことでしょう。




そしてこの事実は、

すべての人間関係において

同じことが言えます。



人はそれぞれ、

人生という物語の中を生きている訳ですが、

その際、

「傍からどう見えるのか」



「その人がどう感じているのか」

とは、まったく別。



例えば、

物語の中では鬼ヶ島の鬼に勇敢に立ち向かう桃太郎も、

心の中では「鬼が怖い・・」と思っている

のかもしれませんし、


1人称の対象を鬼に切り替えてみると、

鬼には鬼の真実があるのかもしれません

(鬼に感情があればの話ですが 笑)。




何が言いたいかというと、

1人称で捉えることによって

世の中の見え方や感じ方が変わるのであれば、

他者とコミュニケーションを図る上でも、

表面的な見え方とは別に、


「その人にとっての真実があるんだろうな〜」


といった視点は

常に持っておくべきではないだろうか?

ということ。



相手の視点をイメージするのは

決して簡単ではありませんが、


「相手に寄り添う」

とか

「相手の立場に立つ」


というのはそういうことなのかな〜

と思っています。




1人称童話シリーズを読みながら、

そんなことを考えました。


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【本日のまとめ】

■ 物語を1人称にしただけで、

  見え方や感じ方が変わってくる。

■ 他者とコミュニケーションを図る上でも、

  表面的な見え方とは別に、

  「その人にとっての真実があるんだろうな〜」

  といった視点は

  常に持っておくべきではないだろうか。



posted by 安野 広明 at 21:12| 島根 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする