2019年01月18日

Vol.2251「会社という‶人間性教育の場”」


過去のエントリ(*)でも何度か書かせていただきましたが、

会社経営をする上で、

「ビジョン(人間性、考え方)」と「利益(経済、やり方)」とは、

車の両輪です。


*ご参照下さい。
   ↓
Vol.2191「‶楕円の世界観”で、統合・調和をはかる」
http://bplan.seesaa.net/article/462791687.html



かの渋沢栄一氏が説いた

「論語と算盤(そろばん)」のように、

どちらが欠けても上手くいかない

と考えています。



そしてこれは、

国家レベルでも同じで、

経済成長(=利益)一辺倒では、

それはあたかも

一輪車に乗っているようなもの。



西洋的な発想により

経済合理性に偏重するのは、むしろ

不安定で危なっかしいと感じます。



では、

もう1つの車輪となるのは何か?

というと、それはやはり、

人間性の教育、具体的には、


文化や歴史や人物に学ぶこと


ではないでしょうか。



「人間性教育」と「経済」の両方

があってはじめて、

国も会社も永続的に発展できる

と思うのです。




したがって、

学生時代はもちろんのこと、

社会人になった後も

人間性教育は欠かせませんし、


その役割の一端を担うのが、

会社だと考えています。



つまり会社は、

(経営者や)社員さんにとって

「生活給を得る場」

であると同時に、


(経営者を含む)「人間性教育の場」


でもあるのです。



そのように解釈しているからこそ、

弊社では、学びの一環として

社内木鶏会(=人間学を学ぶ『月刊致知』を用いた社内勉強会)を

毎月開催したり、

経営計画書を活用した学びの機会

を設けるようにしています。



まあ、実際には、

弊社もまだまだなのですが、


会社を「人間性教育の場」と捉え、

そのための取組みを継続する企業が増えれば、

日本の国力も高まるのではないか(!?)と、

珍しく壮大なことを書いてみました(笑)。


***********************************


【本日のまとめ】

■ 「人間性教育」と「経済」の両方

  があってはじめて、

  国も会社も永続的に発展できる。

■ 会社は、

  「生活給を得る場」であると同時に、

  「人間性教育の場」でもある。



posted by 安野 広明 at 23:30| 島根 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月17日

Vol.2250「いつでも‶元気な状態”を保つために」


「元気があれば、何でもできる!」


とは、アントニオ猪氏の名言ですが、

その逆に、


「元気が無ければ、何もできない」


では困ります。



とはいえ、人間、

日々、様々な出来事が起こる中で、

どうしても元気が出ない時はあるもの。



こればっかりは、

仕方ないと思っています。



実は、そんな時に救いとなるのが、

周りにいる元気な人たちの存在です。



私(安野)自身、

どうしてもテンションが上がらず、

行動量が落ち気味の際には、


第一線で活躍している人や尊敬する人、

挑戦している人や変化率の高い人などの、

Facebook投稿やメルマガやブログを眺めることによって、


「自分はまだまだだな〜」

とか

「もう少し頑張ってみようかな〜」


と自らを奮い立たせ、

元気を取り戻すようにしています。



そういう意味では、

自分の目線を上げてくれる人や場が

たくさんあるほどよいでしょう。



また、そういった

引き上げてくれる人との繋がりは、

(自分が)元気のあるうちに作っておいたほうがよい

というのも、また事実です。



元気が無くなると、

それすら億劫になりますので・・。




したがって、

元気がある時に積極的に外に働きかけ、

自分に刺激を与えてくれる人との関係性を

少しずつ築いておく。



そして、

元気が無くなった時には、

それらの方々から元気をもらう。



そのような環境を整えることによって、

一定水準以下にテンションを落とすことなく、

いつも(概ね)元気な状態を保てるのではないでしょうか。




そんなことを考えました。


********************************


【本日のまとめ】

■ 自分の目線を上げてくれる人や場は、

  たくさんあるほどよい。

■ 環境を整えることで、

  一定水準以下にテンションを落とすことなく、

  いつも元気な状態を保ちたいもの。





posted by 安野 広明 at 23:58| 島根 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月16日

Vol.2249「‶1人称の視点”を持つことで、世の中の見え方は変わる」


以前、1人称童話シリーズの

『桃太郎が語る 桃太郎』

という本を読んだことがあります。



子供向けの絵本なので

別におすすめする訳ではないのですが、

Amazonの内容紹介を一部抜粋すると、

以下の通り。



(ここから)
  ↓
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ぼくは鬼がこわいと思いました。


「昔々あるところに…」でおなじみのスタンダードな昔話は、決まって3人称、

いわゆる「天の声」でえがかれています。


3人称から1人称へ。客観から主観へ。

もしあの童話の主人公が自らの口で語ったら。

その額にカメラがついていたら――


「1人称童話」はそんな発想のちょっと変わった絵本です。

えがかれるのは、3人称のナレーションでは語られない、

主人公の「たとえば」の胸の内。


他者である主人公の視点から物語を体験する1人称童話は

「まなざしと気持ちの絵本」といえるのかもしれません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  ↑
(ここまで)



桃の中に入っている時(=産まれる前)から、

すべてが桃太郎目線というユニークな切り口で、

本の最後には、

「もし君が桃太郎なら?」

との問いかけが・・



読んだ後にも

子供に考えさせる工夫が為されています。



まあ、うちの子の反応は

いまいちでしたけど(汗)。



それはさておき、

このように1人称にしただけで、

こんなに物語の見え方や感じ方が変わってくるのか〜

というのが、

私(安野)の率直な感想です。



桃太郎には、桃太郎にしか分からない真実がある。



そういうことでしょう。




そしてこの事実は、

すべての人間関係において

同じことが言えます。



人はそれぞれ、

人生という物語の中を生きている訳ですが、

その際、

「傍からどう見えるのか」



「その人がどう感じているのか」

とは、まったく別。



例えば、

物語の中では鬼ヶ島の鬼に勇敢に立ち向かう桃太郎も、

心の中では「鬼が怖い・・」と思っている

のかもしれませんし、


1人称の対象を鬼に切り替えてみると、

鬼には鬼の真実があるのかもしれません

(鬼に感情があればの話ですが 笑)。




何が言いたいかというと、

1人称で捉えることによって

世の中の見え方や感じ方が変わるのであれば、

他者とコミュニケーションを図る上でも、

表面的な見え方とは別に、


「その人にとっての真実があるんだろうな〜」


といった視点は

常に持っておくべきではないだろうか?

ということ。



相手の視点をイメージするのは

決して簡単ではありませんが、


「相手に寄り添う」

とか

「相手の立場に立つ」


というのはそういうことなのかな〜

と思っています。




1人称童話シリーズを読みながら、

そんなことを考えました。


*************************************


【本日のまとめ】

■ 物語を1人称にしただけで、

  見え方や感じ方が変わってくる。

■ 他者とコミュニケーションを図る上でも、

  表面的な見え方とは別に、

  「その人にとっての真実があるんだろうな〜」

  といった視点は

  常に持っておくべきではないだろうか。



posted by 安野 広明 at 21:12| 島根 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする