2018年09月28日

Vol.2139「生きた証を残すために継続するという発想」


昨日の夜は、

益田木鶏クラブ(=『月刊致知』を用いた地域の勉強会)を開催。



今回のテーマ記事は、

志ネットワーク「青年塾」代表である上甲晃氏の


「日々発見 日々感動 日々新た」


で、まさに

昨日のエントリ(*)にも書かせていただいた


「継続」


が話題となりました。



*ご参照下さい。
   ↓
Vol.2138「“双方向型”が、継続しやすい場を生み出す」
http://bplan.seesaa.net/archives/20180927-1.html



 
木鶏クラブの皆さんにとって、

「継続」はなかなかハードルが高く、

むしろ

苦い思い出のある方が多いようです。



かくいう私(安野)自身、

当ブログは何とか続いていますが、

過去には、継続しようと始めたものの

途中で挫折し、


「無かったこと」


にした取組みは、数知れず・・。



まあ、多くの人は、

似たような経験をお持ちだと思います。




そもそも、

先行き不透明な時代の中で、

「未来」に向かって

毎日、何か(例えば、日記)を継続し、積み重ねていく・・

という発想だと、

ちょっと気が重くなるかもしれません。



とりわけ、上甲氏のような、

すでに27年間、毎日、

塾生に対してデイリーメッセージを発信し続けて来られた方

の記事を読んだ日には、

その途方もない期間に圧倒され、


「あ〜、自分には無理だわ・・」


となってしまいがち。



むしろ

継続できない自分に対して、

自己嫌悪を覚える人もいるでしょう(汗)。




そこで参考にしたいのが、

同じく上甲氏の記事にあった、


「生きてきた足跡を記録しておく」


という言葉。



足跡を記録することで、

自分がどのように変わったかが

はっきりと分かるのだそうです。



この発想だと、


どこまでも「未来」に進み続ける


というよりも、


「過去」に自分がしてきたことの証を「未来」に残す


という感じで、


同じ「継続」でも、捉え方が変わり、

少しは気が楽になるように思うのですが・・

いかがでしょうか?




本日は、短めで。


********************************


【本日のまとめ】

■ 同じ「継続」でも、

  どこまでも「未来」に進み続ける

  という発想よりも、

  「過去」に自分がしてきたことの証を「未来」に残す

  という発想の方が、

  少しは気楽に続けられるのではないだろうか。





posted by 安野 広明 at 21:46| 島根 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする