2018年09月06日

Vol.2117「正体不明の“みんな”や“ふつう”に惑わされない」


「みんなが〇〇をやってるから・・」


「ふつうは〇〇するでしょう・・」



日常会話の中で、よく耳にする言葉です。



ただ、「みんな」や「ふつう」で

思考をストップしてしまうのは、とても危険。



過去のエントリ(*)にも書かせていただいたように、

抽象的な概念や価値観に合わせるような生き方だと、

いつまで経っても

「自分の軸」が定まらないし、

物事の本質が見えて来ないからです。



*ご参照下さい。
   ↓
Vol.1264「“みんな”という抽象的概念を疑う」
http://bplan.seesaa.net/article/437580946.html



なので、私(安野)は、

例えば自分の子供から同様のことを言われたら、


「みんなって、誰と誰と誰?」


とか


「ふつうって、何? 誰が決めたの?」


と聞き返すようにしています。



まあ、子供からは

面倒臭そうな顔をされますけど・・(汗)。




そうやって、

ぼんやりとした「みんな」や「ふつう」の正体

を明らかにしていくと、

そこから様々なヒントが見えてくるものです。



「みんなという言葉に怖れを感じていたけど、

 実は、たいした人数ではなかった」


とか


「自分が狭い世界しか知らなかっただけで、

 いままでふつうと思っていたことはふつうではなく、

 もっと魅力的な世界があった」


とか


「自分のふつうは、マスメディアによって歪められていた!?」


なんてこともあるでしょう。




とはいえ、

正体を解明するプロセスでは、

「情報のインプット」や「思考」を要する

のも事実。



したがって、実際には、

「みんな」や「ふつう」と言っておいた方が

考えなくて楽だし、

自分にとって都合がよく、言い訳もしやすいんですよね。



そこがまた厄介で、

多くの人がそれらのぼんやりとした概念に

囚われてしまう要因

となっている気がします・・。




かくいう私自身、いまでも

「みんな」や「ふつう」を

無意識に使ってしまうことがありますので、


子供から突っ込まれないように(!?)、

注意したいと思います。


**********************************


【本日のまとめ】

■ 「みんな」や「ふつう」で思考をストップしてしまうと、

  物事の本質が見えなくなる。

■ それらの正体を解明するプロセスでは、

  「情報のインプット」や「思考」を要する。

■ ぼんやりとした概念に囚われぬよう、心がけたいもの。

  





posted by 安野 広明 at 22:50| 島根 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする