2018年09月30日
Vol.2141「“まずはやってみる”のスタンスが、多面的な視点をもたらす」
昨日は、
地元にある金比羅神社の秋季例大祭
が翌日に控えているということで、
準備のお手伝いをした後、
前夜祭の神事に参列。
いわゆる、当番が回って来た訳ですが、
初めてのことだらけで、
なかなか刺激的でした。
準備の際には、雨が降りしきる中、
祭りののぼり旗を立てたり、
紙垂(しで)付の竹をフェンスにくくりつけたり。
途中、
「“くも”をつくる」よう指示され、
「え?“くも”って・・何だ?」
と思いながら手伝っていたのですが、
どうやら、石見神楽の際に
雲を見立てて天井に取り付けられる「天蓋(てんがい)」(*)
のことを、「くも」と呼ぶそうです。
* http://iwamikagura.jp/enmoku/tengai/
あれって、毎回、
本物の竹を取ってきて枝を削ぎ落とし、
手作りしてたんですね・・。
ちょっと驚きました。
その後の神事も含め、
ひと通り携わってみて感じたのは、
こういった準備やしきたりは、
やってみて初めて大変さが分かるな〜
ということ。
講演会やイベントの主催はしたことがありますが、
地元の祭りで主催側に回ったのは、
今回が初めて。
(とはいえ、私はお手伝い程度ではありますが)
けっこうな手間暇のかかることを
長年、受け継いで来られたという事実は、
ありきたりな表現ですが、
凄いことだと心から思います。
この感覚は、
客として祭りに足を運ぶだけでは、
決して分からないでしょう(過去の私がそうでしたので 汗)。
むしろ、
祭りが滞りなく行われるのが当たり前で、
少しでも不備があれば文句を言う人
もいるかもしれませんね。
でも、今回の経験によって、
少なくとも私自身は、
祭りを支えて下さっている方々に
感謝の念が湧きましたし、
これまでとは視点や見え方が変わりました。
言い換えれば、
新たな視点を手に入れ、
一面的ではなく、
より多面的に見れるようになった
ということです。
まあ、今回の場合は、
「当番だったから」
というのもありますが、やはり、
やったことが無いことを避ける
のではなく、
「これもよい経験」と捉え、
「まずはやってみる」
という姿勢が、
多面的な視点を手に入れるためにも大事だな〜
と、
改めて考えさせられた次第です。
・・本日は、備忘録を兼ねて。
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【本日のまとめ】
■ やったことが無いことを避ける
のではなく、
「まずはやってみる」
という姿勢が、
多面的な視点をもたらすのではないだろうか。
2018年09月29日
Vol.2140「‶人を甘やかす経営”は、人を不幸にする!?」
弊社では
「人を大切にする経営実践講座」(*)
を主催していますが、
「社員を大切にする」
と
「社員に甘くする」
とは、
まったく意味が異なります。
* http://annokaikei.com/wp-content/uploads/keieijissen_20180319.pdf
くれぐれも、
この点を誤解してはいけません。
したがって、経営者として、
「良い社風づくり」や「社員の処遇改善」のための努力
を惜しんではなりませんが、
ただ単に、どんな時でも
お客様の都合よりも社員のプライベートを優先させたり、
ミスをしても叱らなかったり、
仕事で負荷をかけなかったりなど、
社員を過保護(?)に扱うのは違う(=正しいマネジメントではない)
と思っています。
そもそも、
そんなぬるま湯のような組織では、
人は成長しません。
いや、むしろ、
衰えていきます。
100の力を持つ人が80しか力を発揮していなければ、
やがて80しか力が出せなくなるもの。
いくら
「自分はやればできる」
「まだ本気を出してないだけ」
と心の中で思っていても、
仕事で手を抜いているうちに、
時間の経過と共に
実力が衰えていくのです。
結果として、
お客様への価値提供という面でも不十分
となり、
お客様にとっても会社にとっても
望ましくない状況を招きます。
それでは、
(周りから必要とされなくなってしまうという意味で)
その人の幸せにつながりませんし、
「人を大切にする経営」
は実現できません。
経営の究極的な目的は、
「関わる人の幸せの追求」
と
「人間的成長」
であり、
どちらが欠けてもダメです。
少なくとも、
「人を大切にする経営」
ならぬ
「人を甘やかす経営」
になってしまえば、
その人にとっても会社にとっても
幸せどころか不幸しか招かない
と思っています。
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【本日のまとめ】
■ ぬるま湯のような組織では、
人は成長しない。
■ 「人を大切にする経営」ならぬ「人を甘やかす経営」は、
その人にとっても会社にとっても
幸せどころか不幸しか招かない。
2018年09月28日
Vol.2139「生きた証を残すために継続するという発想」
昨日の夜は、
益田木鶏クラブ(=『月刊致知』を用いた地域の勉強会)を開催。
今回のテーマ記事は、
志ネットワーク「青年塾」代表である上甲晃氏の
「日々発見 日々感動 日々新た」
で、まさに
昨日のエントリ(*)にも書かせていただいた
「継続」
が話題となりました。
*ご参照下さい。
↓
Vol.2138「“双方向型”が、継続しやすい場を生み出す」
http://bplan.seesaa.net/archives/20180927-1.html
木鶏クラブの皆さんにとって、
「継続」はなかなかハードルが高く、
むしろ
苦い思い出のある方が多いようです。
かくいう私(安野)自身、
当ブログは何とか続いていますが、
過去には、継続しようと始めたものの
途中で挫折し、
「無かったこと」
にした取組みは、数知れず・・。
まあ、多くの人は、
似たような経験をお持ちだと思います。
そもそも、
先行き不透明な時代の中で、
「未来」に向かって
毎日、何か(例えば、日記)を継続し、積み重ねていく・・
という発想だと、
ちょっと気が重くなるかもしれません。
とりわけ、上甲氏のような、
すでに27年間、毎日、
塾生に対してデイリーメッセージを発信し続けて来られた方
の記事を読んだ日には、
その途方もない期間に圧倒され、
「あ〜、自分には無理だわ・・」
となってしまいがち。
むしろ
継続できない自分に対して、
自己嫌悪を覚える人もいるでしょう(汗)。
そこで参考にしたいのが、
同じく上甲氏の記事にあった、
「生きてきた足跡を記録しておく」
という言葉。
足跡を記録することで、
自分がどのように変わったかが
はっきりと分かるのだそうです。
この発想だと、
どこまでも「未来」に進み続ける
というよりも、
「過去」に自分がしてきたことの証を「未来」に残す
という感じで、
同じ「継続」でも、捉え方が変わり、
少しは気が楽になるように思うのですが・・
いかがでしょうか?
本日は、短めで。
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【本日のまとめ】
■ 同じ「継続」でも、
どこまでも「未来」に進み続ける
という発想よりも、
「過去」に自分がしてきたことの証を「未来」に残す
という発想の方が、
少しは気楽に続けられるのではないだろうか。