2018年07月29日

Vol.2078「自由競争の望ましい形とは?」


市場には、お客様とライバルしかいない。



このこと自体は、

資本主義社会において、

避けては通れない現実です。



ただし、かのガンジーが、


「道徳心なき商い」は人類の罪である


と説いたように、


自由競争が行き過ぎてしまうと、


人の心がすさみ、弱い立場にある人々を不幸にする


という危険性もはらんでいます。




ここで、

以前読んだ書籍の中にあった、

以下の文章を紹介します。



ここから
 ↓
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巨大なファンドマネーが注入された大規模なスーパーができたとしよう。

それによって消費者は利便性を得る。


しかし、

それまであった個人商店などは真っ先に影響を受け、

廃業を余儀なくされる。


そして、

消費者はますますスーパーに集まる。


その結果、

それまでの商店街はどんどん廃れていく。



さて、

大型スーパーといえども不死身ではない。

業績が良ければ、競争相手を呼び込みことになる。


そこで大型店同士の競争が激化し、

一方が淘汰される。


場合によっては両方とも消えてなくなる。


人口減少の時代に入った現在では

そういうことが起こりえるのだ。



その時、その街には何が残るか。

寂れた商店街と廃墟になった巨大な建物である。


現にそうなってしまった街がいくつもある。


ファンドマネーは基本的に

その街の歴史がどうのとか、住民に及ぼす影響など頭にはない。


あるのは四半期ごとの決算だけだ。



「人の仕事を奪った」結果がそうであっては、

何のための自由競争か。

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 ↑
ここまで


*『なにゆえ仕事はこれほど楽しいのか』(高久多美男 著)より一部抜粋



この文章を読んだ時、

ファンドマネーかどうかは別として、


益田市を含め、

全国の地方で起きているのは、

まさに行き過ぎた自由競争の弊害

だと感じました。



私(安野)は、地元から

歴史の中で培われてきた独自の風景が消え、


コンビニと大手チェーン店だらけみたいな、

どこにでもある地方の景色

へと同質化しつつあることに危機感を抱いてます。



このまま、近視眼的に

お金や利便性を追い求めてしまうと、

不幸な未来が待っている

気がしてなりません・・。




では、どういった自由競争の考えが望ましいのか?



それは、(大手のように、)


「いかにしてライバルからお客を奪い取るか?」


ではなく、


「どうすればお客様から選んでいただけるか?」


という発想だと思います。



両者は、似て非なるもの。



前者は、

ライバルと勝ち負けをはっきりさせる発想

であるのに対し、


後者の発想は、

ライバル同士で切磋琢磨の関係を築くことができ、

よりお客様に高い付加価値を提供すべく、

サービス向上や価値創造へと

つながるはずです。



結果的に、

雇用の創造にもつながるのではないか

と考えています。




・・弊社としては、今後とも、


「どうすればお客様から選んでいただけるか?」


だけを、

どこまでも追求していきたい

と、意を新たにした次第です。



本日は、備忘録を兼ねて。


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【本日のまとめ】

■ 自由競争が行き過ぎてしまうと、

  人の心がすさみ、弱い立場にある人々を不幸にしてしまう。

■ 「いかにしてライバルからお客を奪い取るか?」

  ではなく、

  「どうすればお客様から選んでいただけるか?」

  を追求したいもの。







posted by 安野 広明 at 20:19| 島根 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする