2017年07月11日

Vol.1695「縦と横があって初めて、良縁が広がっていく」


昨日は、

公認会計士の天明茂(てんみょうしげる)先生による

『立命塾』の最終講でした。


*ご参照下さい。
   ↓
Vol.1654「縦のつながりから使命を見つける、“家系分析”のすすめ」
http://bplan.seesaa.net/archives/20170531-1.html



4月にスタートし、昨日まで、

家系図を整理したり、ご先祖について調べたり

など、

これまでにない経験ばかり。



ご先祖とのつながりを通して

自分自身の役割や使命を明らかにする

という講座なのですが、

全4回が終了しての率直な感想は、


「参加して本当に良かった」


です。



改めて、

私(安野)個人としての(現時点での)使命を

言語化できましたし、


ご先祖(しかも、遡ること江戸時代!)に対する感謝の念も、

いままで以上に強くなりました。


*家系分析に宗教的な要素は一切ございません、念のため。




思い返せば、数年前、

偶然に偶然が重なり

天明先生と出会い、その後、

これまた偶然の再会によってご縁が深まり、

今回の塾に参加するに至ったのですが、


このタイミングで受講できたことには、

何か意味があったと感じざるを得ません。



今後、

この度の経験を基に、

ご縁のある方々にも

家系分析についてお伝えしていこう

と考えております。



とりわけ、

経営者の方にはおすすめです!


*****************************************


『月刊致知7月号』の中で、

三千院門跡門主の堀澤祖門氏が、


「縦糸と横糸がないと織物にならないように、

 縦と横があって初めて

 家族は構成される。


 家族だけじゃなくて、

 個人も会社も国もすべてに当てはまることでしょう。」


とおっしゃられているのが、

とても印象に残りました。



ここでいう縦とは、

先輩と後輩、上司と部下、師匠と弟子、

などの関係はもちろんのこと、

最も大事なのが、

ご先祖とのつながりだと考えています。



実は今回、『立命塾』を通して

改めて気付かされたのですが、

私を含め、多くの人は、

ご先祖についてあまり知りません。



「ご先祖に感謝を・・」

と言いつつ、そもそも

どんなご先祖がいらっしゃるのか、

よく知らないのです。



その中のお1人でも欠けたら

自分が存在していない訳ですので、

本来ならば、

もっと興味・関心を持って然るべきでしょう。



ご先祖の皆さんが、


どういうお人柄で、どういった生き方をされたのか


を知るだけでも、

ご先祖に対する感じ方が変わるはずです。


(なんて偉そうに書いてますが、

 数か月前まで、私も知らないことだらけでした・・汗)




そうやって、

代々の親の、子や孫に対する「言葉にならない想い」を

多少なりとも(想像でもよいので)感じ取り、


その「想い」や「願い」や「期待」が

最終的に自分にまで繋がっていること、

すなわち「縦のつながり」

を意識できた時、

「縦糸」や「縦軸」がしっかりと定まります。



そして、それと織りなす形で、


夫婦、友人、知人、同僚、同志などの「横」の良縁も広がっていくもの


だと思っています。




・・なんだか少し抽象的な内容になってしまいましたが、


「縦と横があって初めて、良縁が広がっていく」


という感覚を、

大切にしたいものです。


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【本日のまとめ】

■ 「ご先祖に感謝を・・」

  と言いつつ、そもそもどんなご先祖がいらっしゃるのか、

  ほとんどの人は知らない。

■ 「縦と横があって初めて、良縁が広がっていく」

  という感覚を大切にしたいもの。









posted by 安野 広明 at 23:19| 島根 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月10日

Vol.1694「思考を深めるための“きっかけ”を用意する」


昨日は


「“将来ありたい姿”を言語化すること」


について書かせていただきました。


*ご参照下さい。
   ↓
Vol.1693「“将来ありたい姿”を言語化していますか?」
http://bplan.seesaa.net/archives/20170709-1.html



今日はその続きです。




「文字量と思考の量は比例する」


と言われますが、

その人が言語化できるかどうかを見れば、


日頃から、どこまで思考を掘り下げているか


がよく分かります。



例えば、昨日のエントリのように、

「将来の夢は?」とか「将来ありたい姿は?」と問われた時に、

言語化できない、もしくは

言語化できても抽象的で具体性が無い

とすれば、


そこまで真剣に考えていない証拠


と受け止めるべきでしょう。




そして、これを会社に置き換えると、


▼ 御社はどんな理念を持ち、どんな会社を目指しているのですか?

▼ そのためにどんな戦略を持っているのですか?

▼ どうやってライバルや大手と戦っていくのですか?

▼ 現在、どんな手を打っていますか?


などの問いに対して、


経営者がしっかり言語化できているか?


ということ。



具体的に言語化できないとすれば、

それはちょっとマズいかもしれません。



日常の業務に忙殺されて考える暇がない

のも分からなくはありませんが、


そのまま思考を深めることをぜずに

会社が立ち行かなくなったとしたら、

日常業務どころではありませんので・・。




個人としての

「将来ありたい姿」、


会社としての

「目指すべき方向性や戦略」。



いずれも自分ごとのはずなのに、

多くの場合には

言語化できていない、

言い換えれば、

あまり思考を深めていないのが現実だと思います。



そして、その要因の1つには、


考える「きっかけ」が無い


というのもあるかもしれません。



そこで、私(安野)としては、


個人については

日々、内省日記のような形で自分と向き合うこと、


会社については

経営計画書の作成を通じての言語化


をおすすめしているところです。



ちなみに、日記に関しては

当ブログでもこれまでに何度も書いてきましたが、


経営計画書の具体的な作り方や活用方法に関しては、

あまり触れる機会がございませんでした。




・・そこで、この度、

以下のようなセミナーをご用意した次第です(笑)。


「経営計画書の作り方(方針編)」
     
http://annokaikei.com/wp-content/uploads/seminar_2017_0728.pdf




よろしければ、ぜひ、

思考の深掘りのために

ご活用下さいませ!


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【本日のまとめ】

■ 「文字量と思考の量は比例する」

  と言われるが、

  その人が言語化できるかどうかを見れば、

  日頃から、どこまで思考を掘り下げているかがよく分かるもの。

■ 個人にしろ会社にしろ、

  考えるきっかけが無ければ、

  思考を掘り下げることはできない。










posted by 安野 広明 at 22:21| 島根 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月09日

Vol.1693「“将来ありたい姿”を言語化していますか?」


うちの子供が通っている幼稚園では、

お誕生日会の際に、

その子の「将来の夢」を1人ずつ発表させるそうです。



ちなみに、うちの子の夢は、

昨年が「畳屋さん」で、今年は「お医者さん」

なのだとか。



畳屋は、私(安野)の実家が畳店を営んでいるので

その影響でしょうし、


医者は、仮面ライダーの主人公の設定が医者だから

だと推測されます。



それにしても、

父親である私の職業が入っていないのは

ちょっと残念・・(涙)



親として、もっと子供が憧れる姿を見せれるよう、

頑張りたいと思います!




・・それはさておき、

子供の頃は、上記のように、

先生や親から「将来の夢」について聞かれる機会が

誰にでもあったはずです。



しかし

社会人になると、他人から

夢について聞かれることは

ほとんどありません。



それもあってか、多くの人は、

「将来の夢」について考えることをしなくなりますし、


「いまさら夢を語るなんて恥ずかしい」


といった風潮すら見受けられます。




では、ここで、

「将来の夢」を、

「将来ありたい姿」に

置き換えてみてはいかがでしょう。



そもそも

子供の頃、夢として掲げがちなのは、

「職業」という、

夢を叶えるための「手段」でしかありません。



子供にとっては

「夢」=「職業」

なんですよね。



でも本来は、

「職業」がゴールではなく、


「その手段を使って、どんな目的を達成したいのか?」


こそが大切ですし、それは、

いま(もしくは将来)の会社の中で、


「(社内のメンバーやお客様や地域社会にとって)自分がどういう存在でありたいのか?」


という

「将来ありたい姿」と紐付いてくるはずです。




「将来の夢」ではなく、

「将来ありたい姿」と解釈すれば、

それを明確にすることは、決して

恥ずかしいことではありませんよね。



むしろ

そういった目的や目標を持たずに、

日々漫然と過ごす方が、

時間を浪費し、自らの可能性が限定されてしまう

という意味で、

非常にもったいないことだと感じています。



失った時間は二度と戻らず、

意識しなければ

あっという間に過ぎ去ってしまうもの。




自分がどこを目指したいのか、

将来どうありたいのか

を、改めて言語化しておくことも

必要ではないでしょうか?




子供の「将来の夢」を聞きながら、

そんなことを考えました。


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【本日のまとめ】

■ 社会人になると、多くの人は、

  「将来の夢」について考えることをしなくなるし、

  「いまさら夢を語るなんて恥ずかしい」

  といった風潮すら見受けられる。

■ 過ぎ行く時間を無駄にしないためにも、

  自分がどこを目指したいのか、

  将来どうありたいのか

  を、言語化しておく必要があるのではないだろうか。











posted by 安野 広明 at 19:09| 島根 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする