2016年10月10日

Vol.1421「“経営”とは決定なり、“人生”とは決定なり」


「経営とは決定なり」

とよく言いますが、

弊社のような10名規模の小さな会社であっても、

経営する立場に立つと、

その言葉の意味をひしひしと感じます。



もしかすると、

部下に大幅に権限移譲できる大企業の経営者に比べ、

ほとんど自分で決定せざるを得ない

中小企業の経営者の方が、

意思決定の回数だけでいえば多いのでは?

と思うほど。



とはいえ、実際には、

大企業のように重大な意思決定が

頻繁に発生する訳ではありません(当たり前ですね 汗)。



むしろ1つ1つは、

大勢に影響を与えないであろう

小さな意思決定ばかりです。



しかし、だからといって、

手を抜くことはできないですし、むしろ、

それら1つ1つの意思決定の集積が、結果的に

会社としての全体の方向性を決めていく

ような気がしています。



したがって、

どんなに小さな意思決定であったとしても、

自分の中で照らし合わせる基準が必要であり、

会社の場合には、

経営理念や経営ビジョン等が

それに該当するのでしょう。



そしてこのことは、

個人に置き換えても同じだと思います。



日々の小さな意思決定を、その都度、

おざなりで決めるのか、それとも、

自分の中に意思決定基準を持ち、

それと照らし合わせて決めるのかによって、

長い目で見れば

大きな差が生まれるはずです。



そういう意味では、

「経営とは決定なり」は、

「人生とは決定なり」と

言い換えることもできます。



経営者のみならず、すべての人が、

自分の人生の主役(=経営者)として

周囲に流されない意思決定基準を確立し、


自分の責任において意思決定しなければならない


のではないでしょうか。



少なくとも、

対人関係に波風立てたくないとか何とかいう理由で

自分では決定しないくせに、

その結果に対して

「あの人があー言ったからこーなった・・」などと

誰かのせいにしながら生きるような人生、すなわち、

コントロール権を自分以外の他者に握られた人生

からは脱したいものです。



そんなことを考えました。


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【本日のまとめ】

■ どんなに小さな意思決定であったとしても、

  それら1つ1つの意思決定の集積が

  会社としての全体の方向性を決めていく以上、

  自分の中で照らし合わせる基準が必要となる。

■ このことは個人でも同じであり、

  「経営とは決定なり」は、「人生とは決定なり」と

  言い換えることもできる。

■ すべての人が、自分の人生の主役(=経営者)として、

  周囲に流されない意思決定基準を確立し、

  「自分の責任において意思決定する」

  ことが大切ではないだろうか。
  









posted by 安野 広明 at 09:50| 島根 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする