2016年06月06日

Vol.1295「“自分”が主語の人生を生きるために」


諸団体に加入して

世のため人のためになる活動を行う

のは素晴らしいことですが、

仮にその活動が、

自分以外の他者によってコントロールされ、

自分には意思決定の余地がほとんど無い

のであれば、

(少なくとも私(安野)は、)

御免願いたいと思っています。



そもそも

自分が(人生の)コントロール権を握っていない

なんてことは、

考えられません。



それは、言い換えると、

「自分」が主語の人生を生きていない

ということですので・・。




もしも、

ここでいう主語が

「自分」ではなく、「他者」や「諸団体」になっている

とすれば、

そこには「依存心」や「思考停止」が

見え隠れします。



「〇〇さんの言うことを聞いておけば安心」


「〇〇団体に入っておけば、大丈夫だ」


みたいな感じで。




また、

いったん諸団体に加入してしまうと、

そこでのしがらみから脱け出すには

相当なエネルギーを要する

ことからも分かるように、

一度、他者に委ねた人生のコントロール権を

自分のもとに取り戻すというのは、

なかなかハードルの高いことでもあります。



とはいえ、そこは、

なんとしてでも(コントロール権を)奪還した上で、

死守したいところ。



その過程で払う犠牲(=いままでお付き合いしてきた人と疎遠になる、場合によっては嫌われる 涙)

は致し方ない、

というのが私の考えです。




ちなみに、

誤解無きように補足しておくと、

これは決して

「自己中心」的に生きる

という意味ではありません。



仮に「他者中心」であったとしても、

そこに明確な自分の意思決定があるかどうか

が重要なのです。




これからも意識的に、

「自分」が主語の人生を歩んでいきたい。


そんなことを、考えました。




少し分かりにくくてすいません・・


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【本日のまとめ】

■ 主語が「自分」ではなく、「他者」や「諸団体」になっているとすれば、

  そこには依存心が見え隠れしているのではないだろうか。

■ 一度、他者に委ねた(人生の)コントロール権を自分のもとに取り戻すというのは、

  なかなかハードルの高いこと。

■ これからも意識的に、「自分」が主語の人生を歩んでいきたいもの。







posted by 安野 広明 at 23:58| 島根 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする