2016年05月10日

Vol.1268「先例という轍(わだち)にとらわれない」


私(安野)の田舎では、

田んぼに水を張り、いよいよ

これから田植えが本格的に始まる、

そんな時期のようです。


毎年、見学のみで終わってしまいますので(汗)、

今年こそ、私も田植えを手伝いたい

と思います。



まあ、それはさておき、

田んぼのあぜ道には、

自然にできた轍(=わだち、車が通った跡)が残っており、

なんとなく歩いていると、

いつの間にか

轍に沿って歩いていることに

気付くことがあります。


別に、

そこが正式なルート

という訳ではないのですが。。。



無意識のうちに、

過去に他の人が歩いた轍の上を歩いている、

言い換えれば、

先例に従っている

のかもしれませんね。



人生においても、

何も考えずに過ごしていると、

身近な先例、すなわち、

親や学校の先生や職場の先輩などの

歩んできた道や人生観や職業観

が轍となり、

それに沿って歩くものと

思い込んでしまうことがあります。



かくいう私自身、

2代目として会社を引き継ぎましたので、

ある意味において、

先代の築いた轍を歩んだ

ことになるのでしょう。



しかし、本来的には、

轍というのは、

電車のレールのようにルートを変更できない

ものではありません。


いくら周りに反対されても、

自分で選択し、新たなルートを築く

ことだってできるはずです。



したがって、大事なのは、


「なんとなく先例に従う」


のではなく、


「自分で考え、選択したかどうか」


だと思います。


(ちなみに私は、自分の選択で今の道を選び、

 まったく後悔はしていません)




いったん立ち止まって、

このままの道でよいのだろうか?

と自問自答してみたり、

意識的に

いつもと違う行動をとってみたり

することで、

先例という轍にとらわれ過ぎないよう

心がけたいものです。




田んぼのあぜ道を歩きながら、

そんなことを考えました。


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【本日のまとめ】

■ 何も考えずに過ごしていると、親や学校の先生や職場の先輩などの

  歩んできた道や人生観や職業観が轍(わだち)となり、

  それに沿って歩くものと思い込んでしまう。

■ いったん立ち止まって、このままの道でよいのだろうか?

  と自問自答してみたり、

  意識的にいつもと違う行動をとってみたり

  することで、

  先例という轍にとらわれ過ぎないよう心がけたいもの。





posted by 安野 広明 at 19:44| 島根 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする