2016年05月01日

Vol.1259「ある日突然、絵馬に書いた願いごとが叶ったら!?」


先日、

とある神社に参拝した際、

絵馬がたくさんかけられている

のを見かけました。


なんとなしに

眺めていたのですが、そこには


「〇〇の資格がとれますように!」

「〇〇の試験に合格させて下さい!」

「〇〇(=会社名)に就職したいです!」

「〇〇さんと結婚できるように、お願いします!」


などと、参拝者が思い思いに

神様への願いごとを書いてます。



私(安野)は

自分に都合よいことばかり

神頼みすることが多いので(汗)、

「あ〜分かるなー、その気持ち!」

と共感しながらも、ふと思ったのが、

もしもある日突然、

神様が願いごとを叶えて下さったならどうなるだろう?

ということ。



例えば、

私が会計士試験の受験時代に、

神頼みだけで合格できたならば

どうだったでしょうか。


きっと、その瞬間は

かなりテンションが上がる

に違いありません。


なにせ

実力とは関係なく

資格が付与された訳ですので。


ただし問題なのは、

資格を取った、その後です。



他の合格者が

合格するまでに経験した努力をせず、

かつ、前提知識も著しく欠如していますので、

いざ実務に就いた時に、

まったく役に立たない人材

になるのは想像に難くありません。



「資格を取得した後から勉強すればいい」

とかそういうレベルではない位に、

正当なルートを通った人と

神頼み(=裏ルート?)で合格した人との間には

歴然とした差があり、

明らかに「場違いな世界に出てしまった感」が生じる

のです。



そうなると

みじめな思いをするのは自分自身

ではないでしょうか。



そしてこのことは、

就職や結婚についても同じ

かもしれません。


つまり、

自分が本当に就職したい会社がある、もしくは、

本気で結婚したい相手がいるのならば、

その会社や相手から選ばれるための努力なしに

結果だけ手に入れたとしても、

それは一時的な喜びに過ぎず、その後に

社内で居場所が無くなったり、結婚しても別れたり・・

なんてことも

ある得る気がするのです。




・・何が言いたいかというと、

その目標を達成するために

どれだけの努力をして人間的に成長できたか

というプロセス抜きにして、

結果だけを求めてもあまり意味が無い

ということ。



現時点ではその目標がベストだと思っていても、

努力している過程での人との出会いによって、

目標が変更することもあるでしょうし。



私自身、

つい結果ばかりに目が行ってしまいがち

でしたので、

絵馬を眺めながら、

我が身を振り返って猛省した次第。



(もちろん

 絵馬を書いている人の中には、

 願いごとを達成するために

 必死で努力している人がいらっしゃるのは

 重々承知しております・・)


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【本日のまとめ】

■ その目標を達成するために

  どれだけの努力をして人間的に成長できたか

  というプロセス抜きにして、

  結果だけを求めてもあまり意味が無い

  のではなかろうか。



posted by 安野 広明 at 07:04| 島根 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする