2016年01月30日

Vol.1167「日常生活の中に“リトリート”はありますか?」


自分に甘い人は他人にも甘く、

自分に厳しい人は他人にも厳しい

というように、

自分との接し方と他人との接し方とは、

根っこで紐付いているものです。



したがって

他人とのコミュニケーションで思い悩む

際には、同時に、


自分自身との接し方も見つめ直すべき


だと考えています。


つまり、頭の中で、

まるで他人と会話するかの如く

自分との対話を繰り返し、

内面を掘り下げていくのです。



しかしながら、多くの場合、

忙しいことを理由に

自分との対話を省略し、

自分以外の他人にばかり意識を向けている

のが現状ではないでしょうか。


もちろん

それも大切なことではありますが、

自分との対話が欠けてしまうと

どうしても片手落ちになる、つまり

根本的な解決にはつながらない

ような気がします。



少し話は変わりますが、


「仕事や家庭などの日常生活を離れ、

 自分だけの時間や人間関係に浸る場所」


のことを「リトリート」と言います(インターネットより抜粋)。


ちなみに、キリスト教では、

信仰を持つ人たちが

日常の生活の場を離れて

自分たちの内面を顧みる集まりのことを、

「リトリート」と呼ぶそうです。


確かに、

そのような場に足を運べば、

否が応にも自分と向き合うことが

できそうですよね。



実際には、そこまで大がかりでなくとも、

例えば私(安野)の場合、

車の運転中や、電車・飛行機での移動中、

そしてこうしてブログを書いている時間が、

「リトリート」に当たると考えています。



まあ、その人の環境や立場によって

諸々の制限はあるかと思いますが、

日常から距離を置き、自分を客観的に見つめ、


自分の内面と向き合う場所や時間(=「リトリート」)


を、

予め確保しておきたいものです。


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【本日のまとめ】

■ 自分との接し方と他人との接し方とは、

  根っこで紐付いている。

■ 他人とのコミュニケーションで思い悩む際には、同時に、

  自分自身との接し方も見つめ直すべきではないだろうか。

■ 日常から距離を置き、自分を客観的に見つめ、

  自分の内面と向き合う場所や時間(=「リトリート」)を、

  予め確保しておきたいもの。





posted by 安野 広明 at 16:42| 島根 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする