2016年01月31日

Vol.1168「逆転の発想に、ヒントが含まれている」


以前、ある経営者が、


「どうやったら自分の会社を倒産させることができるか?



を常に考えている」


とおっしゃっているのを聞いて、

なるほどな〜

と思ったことがあります。



一般的に、経営戦略といえば、


「どうやったら競合他社に勝てるか?」


を熟考するものですが、

上記の発想は、180度視点が異なります。


まさに

逆転の発想ですね。



確かに

自社を倒産させる方法を徹底的に考え、

あらゆる角度から弱点を洗い出すことで、

リスクに対する事前準備が可能になるでしょう。



また

1つずつ弱みを克服することができれば、

それはそのまま参入障壁となり、

独自の強みにつながるはずです。



もちろん


「攻撃こそが最大の防御だ!」


というタイプの経営者もいらっしゃると思います。


しかし、

他社との比較よりも

自社の独自性を重視したい私(安野)にとっては、

しっくりくる考え方だな〜

と思った次第。



逆転の発想の中にこそ、

数多くのヒントが含まれているのです。




本日は短めに。


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【本日のまとめ】

■ 「どうやったら自分の会社を倒産させることができるか?」を考えることで、

  自社の弱みを洗い出すと同時に、

  弱みを克服し、独自の強みにつなげることができる。

■ 逆転の発想の中にこそ、数多くのヒントが含まれている。




posted by 安野 広明 at 23:57| 島根 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月30日

Vol.1167「日常生活の中に“リトリート”はありますか?」


自分に甘い人は他人にも甘く、

自分に厳しい人は他人にも厳しい

というように、

自分との接し方と他人との接し方とは、

根っこで紐付いているものです。



したがって

他人とのコミュニケーションで思い悩む

際には、同時に、


自分自身との接し方も見つめ直すべき


だと考えています。


つまり、頭の中で、

まるで他人と会話するかの如く

自分との対話を繰り返し、

内面を掘り下げていくのです。



しかしながら、多くの場合、

忙しいことを理由に

自分との対話を省略し、

自分以外の他人にばかり意識を向けている

のが現状ではないでしょうか。


もちろん

それも大切なことではありますが、

自分との対話が欠けてしまうと

どうしても片手落ちになる、つまり

根本的な解決にはつながらない

ような気がします。



少し話は変わりますが、


「仕事や家庭などの日常生活を離れ、

 自分だけの時間や人間関係に浸る場所」


のことを「リトリート」と言います(インターネットより抜粋)。


ちなみに、キリスト教では、

信仰を持つ人たちが

日常の生活の場を離れて

自分たちの内面を顧みる集まりのことを、

「リトリート」と呼ぶそうです。


確かに、

そのような場に足を運べば、

否が応にも自分と向き合うことが

できそうですよね。



実際には、そこまで大がかりでなくとも、

例えば私(安野)の場合、

車の運転中や、電車・飛行機での移動中、

そしてこうしてブログを書いている時間が、

「リトリート」に当たると考えています。



まあ、その人の環境や立場によって

諸々の制限はあるかと思いますが、

日常から距離を置き、自分を客観的に見つめ、


自分の内面と向き合う場所や時間(=「リトリート」)


を、

予め確保しておきたいものです。


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【本日のまとめ】

■ 自分との接し方と他人との接し方とは、

  根っこで紐付いている。

■ 他人とのコミュニケーションで思い悩む際には、同時に、

  自分自身との接し方も見つめ直すべきではないだろうか。

■ 日常から距離を置き、自分を客観的に見つめ、

  自分の内面と向き合う場所や時間(=「リトリート」)を、

  予め確保しておきたいもの。





posted by 安野 広明 at 16:42| 島根 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月29日

Vol.1166「最終的には“なにくそ根性”があるかないか」


中国古典の『詩経』には、


「始めあらざるなし。

 克(よ)く終わりある鮮(すくな)し。」


とあります。


何事も、始めるのは簡単だが、

それを終わりまで全うする人は少ない

という意味だそうです。



私(安野)自身、

過去を振り返ると、

様々な取組みに挑戦したものの、そのうち、

現在でも継続できていることは

数えるほどしかなく(汗)、

自らの戒めとして

上記の言葉を胸に刻んでおります。



では、当ブログをはじめ

「継続できていること」と、

「継続できずに挫折したこと」との差は、

一体どこにあるのか?

と考えてみると、確かに

継続するための細々とした

仕組みや工夫はあるのですが、最終的には、


「なにくそ根性」を発揮するかどうか


だと思っています(笑)。



自ら目標を設定し、公言したことに対し、

「まあ、今日くらいやらなくていいんじゃない?」

とか

「そんなに頑張らなくてもいいんじゃない?どうせ誰も気にしてないし・・」

などと甘い言葉を囁く

弱い自分が現われた時に、

「なにくそ、負けてたまるか!」

と、歯を食いしばりながらも

やり続けるかどうか、そして

それに値するだけの取組みかどうか、

ということです。



とりわけ

自分が正しいと信じて継続していること

に関して、

他者から否定的・批判的なコメントをいただいた際には、

けっこう凹みますし、

「もうやめようかな・・」

と思ったりするもの。


しかし、そんな時こそ、

「なにくそ根性」で乗り切る!(笑)。



何だか根性論になってしまいましたが、

ふと思ったのは、

それだけ負けん気を備えている

いうことは、その根底に

「自分にはできるはず」

という自分への期待がある

とも言えるのではないでしょうか。



もしも

「自分にはできるはずがない・・」と、

自ら自分への期待値を下げてしまうと、

「なにくそ根性」を発揮するよりも先に

あっさりと諦めるのが当たり前

になるような気がします。



したがって、まずもって

「自らの可能性を信じる」

というマインドセットが必要なのかもしれませんが、

その上で、

「なにくそ根性」を発揮して、

自ら始めたことを

1つでも多く、少しでも長く継続していきたい

と思った次第です。


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【本日のまとめ】

■ 何事も、始めるのは簡単だが、それを終わりまで全うする人は少ない。

■ 自分自身を振り返ると、

  「継続できていること」と「継続できずに挫折したこと」との差は、

  「なにくそ根性」を発揮できたかどうかに尽きる(笑)。

■ 自らの可能性を信じ、「なにくそ根性」を発揮して、

  自ら始めたことを1つでも多く、少しでも長く継続していきたいもの。




posted by 安野 広明 at 20:42| 島根 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする