2015年11月08日

Vol.1084「“集めたもの”ではなく、“与えたもの”だけが残っていく」


以前、ある方に教わり、

自分の中で大切にしている言葉があります。


それは、


「人が死んだ後に残るのは、

 集めたものではなく、与えたものである」


という言葉。


ジェラール・シャンデリーという人物の言葉

だそうです。



例えば

自分の趣味で集めた

本・CD・時計・バッグなどのコレクションや、

これまでに得てきた地位・名誉・資格などは、

言ってしまえば自己満足の世界。


その人にとっては所有する価値があっても、

多くの場合、

他の人にとっては無価値だったりします。



ご主人が苦労して集め、

置き場が無くて倉庫に保管していたコレクションを、

いつの間にか奥さんが換金して(もしくは捨てて)いた・・

なんてことが起こるのは、

まさに典型的なパターン。



かくいう私(安野)も、

学生時代の思い出が詰まった「あしたのジョー全巻」を

危うく売られそうになったことがあります。


つまり

奥さんにとっては

「残すほどの価値がないもの」

だった訳です(笑)。



まあ、それはさておき、

いくら必死で手に入れたとしても、

それが自己の欲求を満たすだけの利己的なもの

である限り、

自分が亡くなった後には何も残らない

ということを、

上記の言葉は教えてくれます。



まあ、人によっては

自分さえ好きなものを集めればそれでいい

というお考えの方も

いらっしゃるかもしれませんが、

少なくとも私は、

この世に生きた証を何か残したい

と願っているのが正直なところ。


そして、それは

財産としてではなく、


仕事(やプライベート)を通じて人のお役に立ち、相手の心の中に残す


という意味です。



そのためにも、

もらうこと(=集めること)ばかり考えていてはダメで、

やはり、「与える側に立つ意識」を持たなければならない

のだと思います。



「与える」と書くとおこがましい気もしますが、

少しでもお役立ちできる自分になれるよう

日々精進しなければならないと、

上記の言葉を思い出し

意を新たにした次第。


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【本日のまとめ】

■ 人が死んだ後に残るのは、集めたものではなく、与えたものである。

■ いくら必死で手に入れたとしても、

  それが自己の欲求を満たすだけの利己的なものである限り、

  自分が亡くなった後には何も残らないはず。

■ 「この世に生きた証を残す」というのは、

  財産としてではなく、

  「仕事(やプライベート)を通じて人のお役に立ち、相手の心の中に残す」

  という意味ではないだろうか。

■ そのためにも、

  「与える側に立つ意識」を持たなければならない。






posted by 安野 広明 at 17:19| 島根 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする